小網代湾は相模湾に面した江戸時代から栄えた天然の良港である。
現在も釣り舟で有名な漁港であり、また
ヨット、クルーザーなどのマリンレジャーのメッカでもある。
こんな場所にも戦争の傷跡が残されている。
湾の北側にある小さい入り江には、第11突撃隊に所属する
第27震洋隊(石井部隊)が置かれていた。
写真左手のこんもり茂った木々に隠れるように、岩崖に幾つも洞窟が掘られ、湾口部には基地を守るための洞窟砲台が築かれている。
⇒震洋基地詳細については
小網代湾は相模湾に面した江戸時代から栄えた天然の良港である。
現在も釣り舟で有名な漁港であり、また
ヨット、クルーザーなどのマリンレジャーのメッカでもある。
こんな場所にも戦争の傷跡が残されている。
湾の北側にある小さい入り江には、第11突撃隊に所属する
第27震洋隊(石井部隊)が置かれていた。
写真左手のこんもり茂った木々に隠れるように、岩崖に幾つも洞窟が掘られ、湾口部には基地を守るための洞窟砲台が築かれている。
⇒震洋基地詳細については
格納庫のある岸を正面から見る。黒っぽい場所が3個所あるがこれが格納庫である。 写真左手にもまだ幾つか築かれているようである。 関連施設は一切残っておらず、並んだ洞窟だけが往時を偲ばせている。
上記写真に写っている3つの格納庫の様子。大きさはものによって違うが大体、間口約3m、高さ約2.5m、奥行き約30mである。 一部、漁具やゴミが溜まっているが、当時のままの形状である。
油壷の先端、小網代湾側に、8pカノン砲台と洞窟陣地がある。岬の先端を巡るハイキングコースの階段沿いにあるので、目にしたことある方も多いと思う。
砲台は、開口部のみコンクリートで固められており、内部には3つ部屋が作られている。抜け口は現在、海洋深層水の取水施設の裏にあり、
フェンスで立入れなくなっている。
余談だが、昔、この内部で焼身自殺あったと聞いたことがある。
@狙撃口内部。いわゆるトーチカである。
A右側の通路。突当り左手は部屋である。
B左側の通路。
C陣地のほぼ中央部。この先に大きな部屋がある。
@開口口から海を見る
8pカノン砲台の東側、胴網海岸の岩崖に築かれている。一部屋のみの構造で倉庫として使用していたのであろうか。
内部から出入口を見る。
最奥部。左手が部屋になっている。
部屋。おおよそ3m×5mの大きさである。