第一武山海軍航空基地

海軍航空基地

長井の台地上に建設されたもので特攻用航空基地と言われている。長井地区は、大戦末期には、周辺に、武山海兵団をはじめ同長井分団、砲術学校長井分校、荒崎高角砲台、新宿水平砲台、長浜狙撃陣地など様々な海軍施設が設けられていた一大軍事地域であった。
昭和18年秋ころから工事が始まり、終戦直前に完成したため、ほとんど使用されず、地元小学校の記念誌には雷電が数回飛んだだけと記載がある。 戦後は一部が米軍に接収され、ヘリコプター基地として使用され、朝鮮戦争の際はその騒音で学校の授業に支障が出て困ったそうである。
その後、米軍住宅が建てられ長井ハイツとして使われていたが、昭和60年に日本に返還され暫くは廃墟として放置してあった。敷地の最高部(経塚)にはシンボルのように給水塔(たぶん長井ハイツ用に建てられたものであろう)が建っており、テレビCMにも登場したことがある。この頃にはまだ滑走路の跡が残っていた。
現在、大部分は畑になっているが、その中に、航空自衛隊のレーダー施設、インターポール(国際刑事警察機構)の無線施設、米軍の無線施設などが点在している。長井ハイツの跡地は、長井海の手公園(ソレイユ丘)として整備され、滑走路の跡は造成により消滅した。

米軍撮影の空中写真(昭和22年撮影)

国土地理院撮影の空中写真
(平成17年撮影)を加工

かっての滑走路の跡に沿って道路が
走っている。

ソレイユの丘。市外から多くの観光客
が訪れる。

インターポール無線施設。現在は移転。

(地下壕)
台地の周囲には多くの防空壕が築かれている。これは滑走路の東際にある壕で海軍構築の倉庫壕と思われるが、航空基地関連の壕であるかは
不明。一応ここで紹介します。

平面図

@幅3.3m奥行き16mくらいある。

A一番大きな壕。幅4m、高さ4m
長さ22m程度。崩落が激しい。

B通路壕。幅員場1.6m高さ2m弱。
左右に倉庫が掘り込まれている。
@壕より位置が高く段差がある。

C間口2.8m奥行き15m。壁に柱穴
や方形の窪みがある。

D倉庫の1つ。間口1.7m奥行き3m。

上記壕の右手にある壕。写真の
左右に開口部がある。

右手の入口。フェンスで塞がれている。

上記壕のはす向かいの壕。
間口1.2m奥行き10m弱。

真直ぐに掘り込んだ単独壕。
かなり古そうだが防空壕であろうか。

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