明治18年の長浦水雷営の設置以降、長浦湾に次々海軍施設が設けられてきたため、海軍は横須賀港との交通路を確保するために、明治19年、横須賀造船所に命じて箱崎半島の基部の掘割工事に着手しました。 工事は明治22年に完成。その後、昭和6年に拡張工事が行われました。荒井掘割と書くこともあります。余談ですが、半島の北側に幕末に造られた掘割がありましたが、この掘割工事の際に埋められました。当時は旧堀割、新井掘割を新掘割とも呼んだそうです。掘割越しに吉倉桟橋に繋留されている艦船が見えます。