東京湾要塞司令部の用地境界標石。
同司令部は明治28年3月30日、要塞司令部条例により、不入斗の要塞砲兵聯隊内に開庁したが、翌年、中里の現在地に新庁舎が落成し移転した。また、関東大震災後には築城部横須賀支部が当敷地内に移転してきた。
跡地は戦後の経緯により、横須賀市立うわまち病院になっている。
標石は御影石製で、2種類存在している。一つは「陸軍省所轄地」標石である。尖頭(尖頭高3p)で、サイズは基本は15p×15pの角柱(実測は16pほど)、長さは地上部77〜78p、埋込部は20pある。
もう一つは、「陸軍用地」標石である。基本は20p×20pの角柱であるが実測は20.5pから21pほどある。地上部30p〜45pと種々ある。上面には境界標らしく十字が刻まれている。いずれも刻字は1面だけである。
2種類存在する理由については、敷地の変更(増加)が考えられる。陸軍省所轄地は古いタイプのため、途中から「陸軍用地」に変わったものと推測している。