殉国烈士招魂之碑(御所見)

軍事遺物
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御所見村出身の日清戦争における戦病没者2柱の招魂碑。明治29年4月に建立。
その後、日露戦争の戦病没者9柱を合祀したものと推測される。
なおこの地は、同地区の戦争碑が集まる慰霊の地であり、他に英霊之碑義勇奉公の碑が並んでいる。
碑高96p(尖塔部含む)、台石55p、基壇70p。
所在:御所見(藤沢市)

(刻字)
・碑正面:
「殉国烈士招魂之碑 御所見小學校長伊東覺念謹書」
・碑裏面:
「明治二十七年征西之為師于陸于海連戰連捷真疾風 之拂枯葉也交私之紀載備復何須□焉本郡御所見村 出身兵士殞身於此□者二人祀于各處離而不一□恨 矣歸郷軍人志士相謀曰 朝廷既有収恤之典□流枯 骨矣然同是兵士幸全身而歸故邱豈可□然而巳乎願 卜地爲健一碑以不朽之於是唱而和之爭助義挙者挙 村5百餘戸碑既成矣其意亦厚哉夫殉國忠士之事也 彰其名於永遠志士之事也因併記以□碑
明治二十九年歳丙申春四月 伊東□□」
・碑左面:
「字打戻 沖右衛門養子 二十八年四月十日澎湖嶋病歿 後備歩兵二等軍曹 井□□□ 文久三年十一月九日生
字獺郷 啓藏長男 二十八年五月十四日盛京□□□ □□輸卒  □□□吉  □□□□□□□日生」
・碑右面:
「 明治三十八年□月十三日  傷死 陸軍□□□□□ □ □□□□
 仝 三十八年五月□日   □□ 陸軍□□□□□ □ 和田□□
 仝 三十七年十一月十六日 戦死 陸軍歩兵上ホ兵 仝 井出□□藏
 仝 三十七年八月廿二日  仝  陸軍歩兵一ホ卒 用田 河江九郎八
 仝 三十七年十二月一日  仝  陸軍歩兵一ホ卒 菖蒲 梶ヶ谷政吉
 仝 三十七年十一月廿七日 仝  陸軍歩兵一ホ卒 打戻 宮地銀蔵
 仝 三十七年十一月十四日 病死 陸軍砲兵一ホ卒 □□ 熊山□吉
 仝 三十八年九月十日   仝  陸軍輜重輸卒  □  濱田鹿次郎
 仝 三十九年三月廿四日  仝  陸軍騎兵一ホ卒 宮□ 西山爲藏」

・台石左面:
「 發起人
 歩兵一等軍曹勲八等 □□儀三郎
 歩兵一等軍曹勲八等 西□□五郎
 騎兵一等軍曹     熊山□藏
 歩兵二等軍曹     大母□定吉
 歩兵上等兵勲八等  宮治権藏
 歩兵上等兵勲八等  瘤R廣吉
 歩兵上等兵      常盤由蔵
 砲兵上等兵      岡本幸七助
 騎兵一等卒      山ア愛治郎
 歩兵一等卒      熊山勇吉
 歩兵一等卒勲八等  長谷川伊勢松
 歩兵一等卒      角田□次郎 
 歩兵一等卒勲八等  長谷川品蔵
 歩兵一等卒      杉山桑吉
 歩兵一等卒      鈴木佐吉
 歩兵一等卒      小□伊勢松
 歩兵一等卒      大木牛藏
 歩兵一等卒      熊山菊蔵
 騎兵一等卒      井出常次郎」
・台石右面:
「 砲兵一等卒勲八等 佐藤安五郎
 砲兵一等卒    亀井源太郎
 砲兵一等卒勲八等 長谷川林蔵
 工兵一等卒    加藤王吉
 歩兵二等卒    落合虎吉
 工兵ニ等卒    平綿春吉
 輜重輸卒     林利根蔵
 輜重輸卒     長谷川定吉
  周旋員 
   森林造 和田藏 北村辰五郎 西山武兵衛 清田市作 伊東祐泰 清田徳太郎 水越良助 森源吾
   小林徳之助 内野太市郎」
・台石裏面:
「 砲兵上等兵 用田 佐藤藤五郎
 周旋員
 伊東祐吉 伊東杢之助 漆原忠左衛門 小泉喜助 橋定賢 亀井直僖 太田多七 橋保太郎 相原正太郎」

・下台石左面:
「 壱畝拾九歩 敷地寄附者 伊東祐賢
敷地六畝拾五歩 明治四拾参年 参月買之」