平和慰霊塔(茅ヶ崎公園)

軍事遺物

昭和42年に建立された茅ヶ崎市の戦没者慰霊塔。老朽化により平成19年に取り壊され、現在、モダンなデザインの「平和の礎」に建て替えられている。 当時の碑板や灯籠は、敷地脇に集められ保存されている。
なお、慰霊塔建て替えの経緯については、説明板に記載されているため、以下転載する。
所在:茅ヶ崎公園(茅ヶ崎市)

「平和慰霊塔の記億
 茅ヶ崎市民は明治以来幾たびかの戦争において祖国の興隆を信じて参戦され、尊い生命を捧げられた犠牲者の御霊を慰め、そのご冥福を祈るためここ茅ヶ崎公園に市民の浄財と市費をもってこの塔を建立した。
 旧平和慰霊塔は、昭和39年9月に茅ヶ崎市遺族互助金から「明治、大正、昭和の各戦争で戦没された御霊に尊敬と感謝の意を込めて追悼するために建立し、永く御霊を顕彰したい」という陳情書が提出され採択となり、市はこれを受け、建立場所を茅ヶ崎公園内に決定し、戦没された御霊を慰めるため昭和42年3月に建立されました。
 約19メートルの高さにそびえ立つこの塔には、世界平和実現と明治以来の戦没犠牲者の冥福を祈る思いがこめられ、塔の台座には、当時の野村宣市長、深川六郎助役による碑文が刻み込まれ、那智石を敷き詰めた塔の周辺の表面には、太平洋諸島の島々が円形でかたどられていました。
 平成19年に建て替えによって取り壊しが実施されるまでの約40年間、戦没者の方々の慰霊する場、集いができる場、次代に平和の尊さを伝える場として一役担った施設となっていました。」
(刻字)
台座銘板:「平和慰霊塔」
台座碑文:
「慰霊塔の記
 茅ヶ崎市民は明治以来幾たびかの戦争において祖国の興隆を信じて参戦され尊い生命を捧げられた犠牲者の御霊を慰めそのご冥福を祈るためここ茅ヶ崎市公園に市民の浄財と市費をもってこの塔を建立した
 われわれはこの塔を前に永遠の世界平和と郷土の発展に一層努力することを誓います
 昭和42年早春 茅ヶ崎市長 野村宣 撰 茅ヶ崎市助役 深川六郎 書」

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