故陸軍歩兵一等卒伊藤兼吉之碑(安楽寺)

軍事遺物
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明治37年6月15日、陸軍徴傭運送船「常陸丸」に乗組み出征途中、玄界灘においてロシア浦塩艦隊に攻撃・撃沈され、戦死された伊藤兼吉さんの慰霊碑。これは「常陸丸事件」として当時の世論を大いに騒がせた。 同市法性寺には同じく戦死された陸軍一等卒鈴木梅吉さんの墓碑もある。
東京青山霊園には、「常陸丸殉難近衛後備隊将士之墓」という引き上げられた遺骨の合同墓があり、靖国神社には、再建された「常陸丸殉難慰霊碑」がある。 また、横浜の東福寺には、招魂・顕彰のために建てられた報国碑がある。
碑高88p、幅33.5p、厚さ28p、台石28p。
所在:安楽寺(館山市)

(刻字)
碑正面:
「故陸軍歩兵一等卒伊藤兼吉之碑」
碑左面:
「故陸軍歩兵一等卒伊東兼吉君明治九年七月十五日下總海上郡神村ニ生レ父ヲ萬之助母ヲキクト云フ明治廿八年六月父母ト共ニ當村六百四番地佐々木助右エ門方ヘ轉籍仝二十九年十二月徴兵トシテ近衛歩兵第四聯隊第七中隊ニ編入仝三十二年十一月満期除隊仝三十七年二月日露戰役ニ際シ應召近衛後備歩兵第一聯隊第六中隊ニ編入仝年六月十四日宇品ヨリ運送舩常陸丸ニ乗舩出征ノ途ニ上ル翌十五日午前玄海洋ニ於テ敵艦ニ襲撃ニ遭ヒ舩ト共ニ戰死セラル
 明治三十九年三月二十日」
碑右面:
「勝義院忠實貫道居士位」