報国碑(東福寺) |
軍事遺物 |
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明治37年6月15日、玄界灘において、ロシア浦塩艦隊により日本の商船3隻が砲撃を受けた。常陸丸、和泉丸は撃沈、佐渡丸は大破した。特に常陸丸は陸軍部隊を輸送中であり、1千名余りが戦死した。世論が沸き立ち、警備の上村艦隊に非難の声が巻き起こった。常陸丸事件と呼ばれ映画化もされた。 この3隻の報国に値する功績を顕彰するため明治39年6月建立。 徳川達孝伯爵による篆額「報國碑」の下に、東京大学、東京高等師範学校の教授を歴任した教育者南摩綱紀による碑文が刻まれている。 靖国神社にも、常陸丸事件を後世に伝えるために建立された常陸丸殉難記念碑がある。 また、この常陸丸事件で戦死された陸軍歩兵一等卒の慰霊碑が館山市の寺院にある。 碑高325p、幅103p、厚さ17p、台石約120p。 所在:東福寺(横浜市西区) (刻字) 碑正面: 「報國碑(篆額) 従三位伯爵徳川達孝篆額 明治三十七年二月我與露國肇寡也六師渡海相戰常陸佐渡和泉三舩運漕兵隊及軍資冒暴風蹴怒涛往復数回能盡其職使軍機無遺算既而為敵艦所襲撃彈丸雨注三舩共覆没舩中人多溺死實六月十五日也其悲惨亦極矣嗚呼此戰海陸連勝奉振古未曽有之偉績宣揚皇威於宇内者三舩報國之功亦與有力矣謂之不譲攻城陷陣之績可也頃日同人胥謀将建碑於横濱招魂祭之且不社其績来乞余文因識其梗概云 明治三十九年六月 従四位勲四等南摩綱紀撰 渡邊 孚書」 |