忠魂碑・殉国之士の碑(御野立所)

軍事遺物
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長津田御野立所に並んでいる石碑の一つ。
建立者・建立年は不明だが元は下恩田の丸山教会にあったそうで、昭和38年に建立された田奈地区の慰霊塔の建設に合わせて同地に移設されたとの事。希典の揮毫から明治末期建立で、当地の日清・日露戦役の戦没者の忠魂碑だと推測する。
両側に殉国之士と書かれた石碑が並び、こちらも建立者、建立年は不明だが、忠魂碑の附属碑と推測する。右手は大正・昭和期ため後に設置されたものだろう。西南戦争から支那事変までの戦病死者16柱を合祀している。
結果、同地は田奈地区における西南の役から太平洋戦争までの戦没者慰霊の地となっている。
所在:御野立所(緑区)
忠魂碑:碑高178p、幅45p、厚さ35p、台石37p、基壇15p。
殉国之士の碑(右):碑高125p
殉国之士の碑(左):碑高128p

(忠魂碑刻字)
碑正面:
「忠魂碑  希典書」

(左碑刻字)
碑正面:
「殉國之士   芳名録
明治十年三月廿八日 肥後國植木町ニ於テ戰死 陸軍歩兵一等卒 森木廣吉
明治十年三月廿一日 肥後國植木町ニ於テ戰死 陸軍歩兵二等卒 石井勘一郎
明治廿八年三月廿八日 臺灣澎湖嶼嶋馬公城病院ニ於テ病死 陸軍歩兵一等卒 久岡寅吉
明治丗七年八月十四日 清國盛京省胡家屯附近ニ於テ戦死 陸軍歩兵伍長勲八等功七級 田中□太郎
明治丗七年十月十一日 清國盛京省木□湖附近ニ於テ戦死 陸軍近衛歩兵上等兵勲七等功七級 中里仲吉 
明治丗八年三月十一日 清國盛京省彭家楼附近ニ於テ戦死 陸軍近衛歩兵一等卒勲八等 鈴木一平
明治丗七年九月五日  清國盛京省青泥窪病院ニ於テ病死 陸軍歩兵上等兵勲八等 杉山亀之助
明治丗八年五月二日  韓國雲山守備地ニ於テ病死    陸軍歩兵一等卒勲八等 鈴木長藏
明治丗八年一月丗一日 戰傷ノ爲メ自宅ニ於テ死亡 陸軍歩兵一等卒勲八等 井上鉄五郎
明治丗九年一月十四日 在隊負傷ノ爲メ自宅ニ於テ死亡 陸軍近衛歩兵ニ等卒 岡部慶藏」

(右碑刻字)
碑正面:
「殉國之士   芳名録
大正八年九月二十八日 西比利亞出動中發病横須賀衛戍病院ニ於テ病死 陸軍砲兵伍長勲八等 橋富藏
大正十年十二月三日 朝鮮守備中發病廣島衛戍病院ニ於テ病死 陸軍歩兵一等卒 阿部未太郎
昭和十一年十二月十四日 満洲守備中發病廣島衛戍病院ニ於テ病死 陸軍砲兵上等兵 井組悦弘
昭和十二年十月四日 支那事変ニ出動第百一師團野戰病院ニ於テ病死 陸軍歩兵伍長 三部長吉
昭和十三年九月十二日 支那事変ニ出動江西省西狐嶺ニ於テ戰死 陸軍歩兵上等兵 久保田豊吉
昭和十三年十二月一日 支那事変ニ出動威海衛附近ニ於テ戰死 海軍一等水兵 久保田魚治」