征清之役戰死者姓名碑(池尻4丁目)

軍事遺物

マスタービューレジデンスの南西側斜面、戰死病没者表忠碑の隣に建てられている。
このあたりは、第一師団に所属した陸軍騎兵第一連隊の跡地であり、この小高い場所は通称騎兵山と呼ばれていた。
この石碑は、刻字から明治29年6月30日に秋山中佐が建立したもので、明治28年に建立した日清戦争戰死病没者表忠碑を受けて、その戦死者の姓名を記録する意味で建てたとある。揮毫も秋山中佐であり、裏面に戦死者の階級、氏名、経緯が刻まれている。なお、姓名にある括弧書きは、表忠碑で使われている漢字である。
碑高105cm、幅165cm、厚さ15cm。台石25p
所在:(池尻4丁目:世田谷区)

(刻字)
碑正面:
「征清之役戰死者哀 悼碑建設工ヲ竣ル 茲ニ其姓名ヲ勒シ 永ク後世ニ傳フ 明治二十九年六月三十日 騎兵第一聯隊長秋山好古謹記」
碑裏面:
「陸軍騎兵少尉 山口毅夫
君資性謙譲ニシテ敏活頗ル支那語ニ通 ズ征清之役金州及旅順ニ転戰シ常ニ勇 往奮進敵状地形ノ偵察ニ尽力シ我騎兵 隊ノ活動ヲシテ極メテ容易ナラシメタ リ旅順陥落ノ後普蘭店ニ派遣セラレ復 洲方面ノ警戒ニ任ズルヤ疾病ヲ犯シ尚 能ク劇務ニ服シ遂ニ起ツ能ハサルニ及 ビ歸朝シ明治二十八年二月十三日廣島 陸軍豫備病院ニ於テ卒ス享年二十八歳
陸軍騎兵曹長 吉田四郎 明治二十八年二月八日於老爺廟戰死
豫備陸軍騎兵一等軍曹 藤堂立 明治二十七年十一月十七日於龍口戰死
  陸軍騎兵一等軍曹 渡邉武松 明治二十八年二月八日於二道河戰死
陸軍騎兵一等卒 西澤三十 明治二十八年二月二十四日於太平山
陸軍騎兵一等卒 根本由之助 明治二十八年二月七日於高刋戰死
陸軍騎兵一等卒 羽毛田安次(太)郎 明治二十八年二月八日於老爺廟戰死
陸軍騎兵一等卒 内田與作 明治二十八年二月八日於二道河戰死
陸軍騎兵一等卒 荒(新)井斧三郎 明治二十七年十一月十九日於龍口戰死
豫備陸軍騎兵一等卒 小野田勝三郎 明治二十七年十一月十九日於龍口戰死
陸軍騎兵一等卒  飯尾金彌 明治二十七年十一月十八日於土城子戰死
陸軍騎兵一等卒  柴ア 章 明治二十八年三月二十二日於聶家堡子戰死
陸軍騎兵一等卒  加瀬音吉 明治二十七年十二月三十日於蘇家屯病死
後備陸軍騎兵一等卒  蕪木夘(卯)八 明治二十八年一月三十一日於朱家旬子戰死」