マスタービューレジデンスの南西側斜面に建てられている。
このあたりは、第一師団に所属した陸軍騎兵第一連隊の跡地であり、この小高い場所は通称騎兵山と呼ばれていた。
この巨大な石碑は、日清・日露戦争における騎兵第一連隊の戦病没者の慰霊碑である。
この碑の建立の経緯を隣にある姓名碑から推測すると、秋山中佐が明治28年9月に日清戦争の戦病没者の哀悼碑を建立した後、何らかの理由でこの碑は撤去され、明治39年11月に日露戦争の戦病没者を追記して名和中佐が再建したことがわかる。
揮毫は陸軍中将戴仁親王。裏面には戦病没者の階級と氏名が刻まれている。
碑の周囲には、同じ秋山中佐が建てた日清戦争戦死者の姓名碑や戦後に建てられた連隊創設記念碑、戦没者慰霊塔がある。これらは鉄柵で囲まれた一画に集められており、戦後の開発のなかで、あちこちの碑が集められ慰霊の地とされたことが推測できる。
因みに、姓名碑は、日清戦争戦死者の姓名を後世に伝えるために建立したものであることから、当初の哀悼碑に姓名は刻まれていなかったことが推測される。そのためか、両碑に刻まれた戦死者は同じであるが、3か所漢字が違っている箇所がある。下記の括弧の部分であるが、どちらが正しいのであろうか。括弧内は姓名碑における表記である。
碑高約500cm、幅195cm、厚さ35cm。
所在:(池尻4丁目:世田谷区)