騎兵第一聯隊創設百年記念(池尻4丁目)

軍事遺物

マスタービューレジデンスの南西側斜面、騎兵第一連隊関係の慰霊碑を集めた一画にある。ここは、陸軍騎兵第一連隊の跡地であり、この高台は騎兵山と呼ばれていた。
どっしりとした御影石製の碁盤のような石碑で、表面にブロンズの碑板が取り付けられている。 碑板の四隅には馬の蹄鉄が添えられているのが、騎兵連隊の碑らしい。
縦185cm、横100cm、高さ45p。
所在:池尻4丁目(世田谷区)

(刻字)
「騎兵第一聯隊創設百年記念 竹田恒徳
騎兵第一聯隊は明治六年三月東京鎮台騎兵第一大隊として創設せられ皇居前馬場先門外の駐屯す明治十年西南役に従事し明治二十四年目黒駒場に移る部隊は我国騎兵の始祖として兵科錬成の母隊たり明治二十七八年日清戰役にが秋山好古少佐指揮の下に第二軍に属し軍捜索騎兵として旅順田庄台の攻略に偉勲を奏す明治二十九年大隊は騎兵第一聯隊に改編軍旗を親授せらる初代聯隊長は閑院宮載仁親王なり明治三十七八年日露戰役には第三軍に属し初めて軍旗を朔北の戰野に翻し奉天會戰に殊勝を顕し感状を授けらる昭和十一年チチハル孫呉に出動し北満警備に任じ勲功あり支那事変勃発するや留守隊は昭和十二年騎兵第百一大隊を上海南京武漢作戦に、次で昭和十四年捜索第三十二聯隊を北支晋南作戰に出動参加せしめ何れも赫々たる武勲を樹つ昭和十五年騎兵第一聯隊は捜索第一聯隊に改編軍旗を奉還す大東亜戰争酣となるや聯隊は北満より長躯南進第一師団に先陣に立ち挺進して日米両軍主決戰場レイテに突入孤軍激斗五十余日昭和二十年一月今田義男聯隊長以下全員悉く国難に殉じ斃れて後已む壮烈眞に鬼神も為に哭く顧みれば部隊創設以来茲に百年仍ち明治大正昭和三代に亘る歴史を追懐し先人の英魂を弔い其遺烈と勲業とを永く後毘に伝えんが為聯隊の旧址駒場台上忠魂碑の傍に此碑を建つ
昭和四十八年三月吉日   騎兵第一聯隊會」