神代村の恤兵義会が日露戦争の従軍を記念して明治39年11月に建立した。裏面に従軍兵士の姓名が5段に亘って刻まれている。最上段には戦病没者8名、2段〜4段には従軍兵士100名が大字ごとに刻まれている、最下段の6段目は建碑の由来と恤兵委員の姓名である。
隣接して忠魂碑が建てられている。。
所在:深大寺(調布市)
(刻字)
碑正面:「戰捷紀念碑 元帥侯爵 山縣有朋書 内藤慶雲刻」
碑裏面:「明治三十七八年戰役従軍
大字金子
陸軍歩兵一等卒勲八等功七級 大竹豊
明治三十七年十一月二十六日於清國盛京省松樹山戰死
大字入間
陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 清水金藏
明治三十七年九月二十二日於清國盛京省旅順方面標二〇三地戰死
同 上等兵勲八等 清水錠太郎
明治三十八年十月十日於清國盛京省後三家子舎營病院北英城分院病死
同 一等卒勲八等 清水以孝
明治三十七年九月二十日於清國盛京省水師營南方地戰死
大字深大寺
陸軍歩兵上等兵勲八等 関森定吉
明治三十八年三月九日於清國盛京省田義屯東南方面畑地戰死
同 一等卒勲八等 井上有仁
明治三十七年八月二十二日於清國盛京省寺児溝西北方地戰死
同 一等卒勲八等 杉本三藏
明治三十七年十一月二十七日於清國盛京省寺児溝西方地戰死
陸軍砲兵軍曹功七級勲七等 富澤八百藏
清國盛京省黒溝臺戦闘負傷後明治三十九年三月三十日於東京豫備病院澁谷分院病死
大字下仙川(12名)
大字金子(14名)
大字入間(17名)
大字深大寺(44名)
大字柴ア(2名)
大字佐須(11)
畧記
深大寺佐須柴ア金子入間大町一
仙川北野之八郷咸神代村本會者
主報國恤兵本村一同皆會員也属
於明治二十七八年戰役當時創設
經星霜實十有餘年也以後益呈盛
況當於今回之戰役發報國精神為
本村軍士顯恤兵誠意今乎戰役終
局軍士凱旋本會相謀関凱旋祝賀
會為紀念建碑石録本村従軍兵士
姓名俣記本會大要以傳于無窮云
爾
恤兵委員 姓名イロハ順
勲七等會長 富澤兵藏(ほか41名)
明治三十九年十一月建 神代村恤兵義會 富澤仙太郎書」