四本木稲荷神社(北区)

軍事遺物


この神社は、元は第一陸造兵廠滝野川工場の構内神社であった。明治38年陸軍用地以前からあった小祠を修復し、同廠十条工場の構内神社であった四本木稲荷神社から分祀したものである。
四本木稲荷神社の創設は、十条工場の整地工事の際に多くの古墳を壊してしまい、その祟りを恐れて稲荷社を祀ったのだという。つまり、大戦前までは二つの四本木稲荷神社が存在したのである。
戦後は十条工場の四本木稲荷神社の社殿をこちらに移し本殿とし、もとの社殿は境内摂社として残されている。現在、十条工場側に神社はなく、いなりパーク(旧稲荷公園)となっている。因みに、現在の四本木稲荷神社の境内にも古墳があるそうだ。
なお、本殿の両側にある鉄製の天水桶は昭和10年4月に圧延工場の従業員が奉納したものである。 四本木(よもとぎ)稲荷神社とも呼ぶ。
所在:北区滝野川3−61−1

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