(現状)
・当時は、広大な敷地に様々な形状の、実験研究施設や工場などが立ち並んでいた。戦後、米軍に接収されていたが、昭和35年に、岡村製作所、東邦化学等の民間企業に払い下げられ、追浜工業団地となり現在に至っている。多くの建物はそのまま工場として使用されており、老朽化や企業の入れ替え等により建替えが進んできたとはいえ、まだ当時の建物や構造物などの遺構は数多く残っている。
・現存遺構としては、建築物では、製図工場、電話交換所、図書庫、第一研究所、第四研究所、第六研究所、第四風洞場、高圧・高速風洞場、第一工場、材料庫、第一実験準備場、模型準備場などが残っている。庁舎は最近まで北辰工業鰍フ工場として使用されていたが、残念ながら平成16年に破却された。また、艤装兵器構造力学研究所も平成25年頃破却され、駐車場となっている。会計部の可燃物庫はコンクリート巻き立ての横穴式で5本が鉄製門扉を含めて現存している。
その他の遺構としては、深浦門側のコンクリート塀の一部、高圧風洞場下の石垣、等速実験水槽の一部、行幸記念碑などがある。また、鉈切山などの地下壕も現存している。しかし、これらの遺構も老朽化が激しく、いつ破却されてもおかしくない状況である。
発着機部の室の木工場や夏島地区の建物については、遺構はなにも残っていない。