(碑文)明治四十四年御崎神社の森深きほとり緑の田園高原の良き地に約四三二
〇坪を選び東郷尋常等小学校の校舎を設立した爾来台風に依り倒潰し
たるも再建後年大火災の厄に遭うも子弟教育の熱意は愈々燃えて倍旧の
校舎が建設された学舎の甍に渡る松籟の音も妙□燦燦と□り映たる陽光
に祝福された此の校地は□才の幼者より二十才の青年子女に至るまでの
学の聖地であり同時に成人相互研修の道場でもあった斯くして幾星霜此
の地に海軍飛行場の設置を□□地も亦其の用地として接収校舎移動の止
むなき事態となった維時昭和十九年不幸であった戦を□えて飛行場跡を
眺めた時「国破れて山河あり」の感懐の情切々たるものがあった即ち国有財
産となった飛行場の払下げを行い鋭意開拓の鍬を振った旧学校跡につい
ては特別な性格をもつ土地であるが故に東郷農業協同組合名儀として保
持することに成功したこの幸は関係役職員有司各位の努力の結晶である
時は更に流れて東郷農協が市内五農協と合併し新しく茂原市農協として
発足するに当り此の土地を処理するの必要にせまられ総会の議決に基き
土地を処分して新農協に投資し更に地区内小中学校保育園に寄金して後
進育成の一助とする等各種の施策を講じた本碑も此の施策の一環であっ
て其の念願する処のものは東郷文化発祥の地として幾多俊秀の魂の故郷
を愛惜すると共に良く保って今日に至らしめた先覚各位の御努力と御功
績に感謝の誠意を捧げ其の徳を顕彰せんとするものである
昭和三十九年六月 茂原市東郷農業協同組合