(沿革)
・昭和7年4月1日:海軍技術研究所航空研究部、海軍工廠飛行機工場、航空機実験部、航空発動機実験部を統合し、「海軍航空廠」開設。
・昭和14年4月1日:特設航空廠との混同を避けるために「海軍航空技術廠」に改称。
・昭和16年4月1日:規模の拡大に伴い、金沢釜利谷に「支廠」開設。総務部、会計部、兵器部、爆弾部、医務部を設置。
・昭和18年4月1日:兵器部廃止。射撃部、爆撃部、雷撃部、火工部、光学部、計器部を設置。本廠から電気部が移転。爆弾部を製鋼部と改称。
・昭和20年2月15日:本廠が「第一海軍技術廠」に改称。支廠も「第一海軍技術廠支廠」に改称。
さらに、支廠のなかの電波、音響部門を独立させ「第二海軍技術廠」を開設。
(概要)
・支廠とは、海軍航空技術廠の業務、施設の拡大に伴い、北西、釜利谷の地に新設されたもので、業務分担としては、本廠が航空機の機体や発動機そのものを扱うのに対して、支廠は兵器部門として、搭載兵器や爆弾の試作、研究、実験を行うものである。
その範囲は、北は宮川、東は京急電鉄軌道、南と西は丘陵に囲まれた約125万�uの広大な敷地である。
・開設当時は、総務部、会計部、医務部のほかに、兵器部、爆弾部の2作業部であったが、その後の新設、改称により、最終的には、射撃部、爆撃部、製鋼部、雷撃部、火工部、光学部、計器部、電気部の8作業部となった。
本廠とともに、横須賀海軍航空隊と密接に連携しながら、日本の航空技術の中心となり、大きな功績を残した。ここで培われた技術は、戦後の日本の発展にも大きく貢献した。
・支廠だけでも、職員、工員合わせて1万3千人、本廠を加えると約3万3千人にもなる巨大な施設であり、周辺にはこれらの人々を収容する工員寮や寄宿舎が数多く建設された。また、工員養成所や従業員、家族の診療を行う追浜海軍共済組合病院などの関連施設も建設された。
・昭和18年頃から空襲対策として、敷地西側から南側の丘陵部には、いくつもの地下壕が掘削され、周囲の丘陵上には防空対策として横須賀警備隊所管の高角機銃陣地(空技支廠:25�o連装6基、13mm4連装1基)(八景山:25�o連装2基)が構築された。
・付属施設として、茨城県鹿島に爆撃の実験や訓練を行う実験場(鹿島海軍航空訓練場)を所有していた。
・第二海軍技術廠については、本部は支廠の構内にあるが、航空関連の第一技術廠とは異なり、電波、音波、音響に関する別の実験研究機関である。
(現状)
・戦後、広大な敷地に実験研究施設や工場、倉庫などがそのままになっていたが、昭和21年6月、その大部分について、東急興業株式会社が施設の使用許可を受けて、戦災電車復旧を主体にした事業を開始した。後の東急車両であり、現在は、JR東日本の完全子会社である総合車両製作所に引き継がれ鉄道車両の製造を行っている。
なお、支廠の庁舎は、今の市大の構内にあったが、木造平屋建の小さなもので現存しない。
・敷地の南東には、昭和24年に横浜市立大学が開学。昭和26年にはその北側に市立金沢高校が開校した。北東には、昭和23年金沢中学校が移転するなど教育用地としても活用されている。
・南西には、日本綜合地所が平成13年から開発を始めたレイディアントシティ横濱という総戸数1,805戸という大規模マンションプロジェクトが進出している。
・昭和27年に火工部の跡地に進出した東洋化工(現三協立山(株)タテヤマアドバンス社)は、昭和34年11月20日に死者3名、380名余りの重軽傷者を出した爆発事故を起こしている。
(現存遺構)
主に総合車両製作所構内になるが、現況や空中写真から判断して�Aから�Mまでの施設は改修は受けているが現存しているものと考えている。他にも、燃料庫や海軍消火栓、細かいものでは表札や側溝蓋なども残されている。
また、丘陵部地下には横穴式地下壕や丘陵上には機銃座跡、境界標石など多くの遺構が残されている。
(記念碑)
釜利谷第二公園(釜利谷東一丁目)には、関係者らによって平成17年1月に建立された支廠跡記念碑があり支廠の存在を後世に伝えている。
中央部が総合車両製作所などの民間工場敷地であるが、右写真と比べるとかなりの建物が残っているのがわかる。西側の丘陵は敷地外へ櫛のように出ていた尾根がすっかり削られている。この地下には東西を貫通する大きな地下壕(工場)が数本掘られていた。続く南西の丘陵もマンション開発で大きく造成されてしまった。
�@庁舎 �A爆撃兵器研究所 �B雷撃工場 �C爆撃工場 �D爆撃工場 �E射撃工場 �F物品納入場 �G爆撃工場 �H爆弾工場 �I機械工場 �J熱処理工場 �K製鋼工場 �L製鋼実験所 �M冷却用貯水池
�N500m射場 �O火工部
�A爆撃部爆撃兵器研究所(昭和16年建設)
現総合車両製作所本部
�C爆撃部爆撃工場
�E射撃部射撃工場
�J製鋼部熱処理工場
�L製鋼部製鋼実験所
�M冷却用貯水池
会計部燃料庫
支廠表札
側溝蓋
海軍消火栓
8本のコンクリート柱列。電波兵器の跡か?
コンクリート柱の脇には貯水槽
お伊勢山の建物基礎。監視所らしい。
お伊勢山に残る便所跡。戦後のものか?
幅・高さ5m、奥行き20mを超える横穴壕。
東西を貫通する?地下壕
監視所又は機銃砲台へ通じるトンネルと防空壕で、防空壕は幅2.8m、奥行き3.5m、高さ1.9m。トンネルは幅1m、高さ1.5で長さ10m程度。
平面図。防空壕は掘下げ、トンネルは上り坂。
防空壕(左)、連絡トンネル(右)
連絡トンネル内部