館山海軍航空隊防備のために設置された高角砲台。
(歴史)
館山海軍航空隊は、昭和5年に日本で5番目の航空隊として開設されたもので、場所は、関東大震災で隆起してできた館山西部(沖ノ島、鷹ノ島を結ぶ線以南)の浅瀬を埋め立てて造られた。
城山防空砲台は、
昭和12年に出された命令をもとに建設されたもので、大東亜戦争開戦前に完成した初期の防空砲台である。横須賀海兵団の所管であったが、昭和16年11月に開隊した横須賀海軍警備隊へと所管が変更された。
昭和16年12月時点での装備は、40口径3年式8p高角砲4門、ス式110p探照灯2基、「ステレオ」式2m高角測距儀1基、毘式7.7o機銃4門。
その後の変遷は不明であるが、昭和19年11月以降は横警の所管から外れ、館山海軍航空隊の直接警備に移ったようである。
場所は地名の通り、里見氏が築いた館山城の城山の山頂を平らに削って造られた。
大戦末期には、敵空襲の本格化に伴い、館山航空隊周囲に、大網、二子山、寺山など複数の防空砲台が築かれていた。
(現在)
館山市営の城山公園として整備、開放されている。広い山頂には、天守閣を模した博物館分館や日本庭園、椿園などが設けられ人気の観光名所となっている。砲台の遺構としては、砲座と推測されるコンクリート基礎や地下施設、機銃掩体、また、境界標石も数基残り、わずかではあるが海軍砲台跡を偲ばせている。
園路に残る高角砲座のコンクリート。
砲台地下施設。今は公園倉庫として活用。
弾薬庫と言われている横穴式地下壕。
機銃掩体。擂鉢形状が残っている。
地下弾薬庫の透視図