(2004年12月浦賀発) 戻る
千代ケ崎砲台が開発の波にさらされています!
2004年2月に訪れた際は造成工事が始まった頃のようで、工事車両が入れるように土砂で埋まっていた 軍道が復旧され、砲塔砲台のあった場所は、樹木が伐採され更地状になっていた。 その後11月には、更地の場所は寝かせてあったため雑草が蔓延っていた。また、上部に向かって造成が進み、 旧千代ケ崎砲台の前面部(歩兵用胸檣と空堀)が開墾され更地になっていた。
この後、どこまで造成されるかわからないが、空堀内にある掩蔽壕や井戸、空堀に隣接する右翼観測所跡などが 破壊される恐れがある。掩蔽壕は明治期のレンガ構造がきれいに残っており、何とか保存できないものだろうか。 11月の段階では、前面部の造成により、横檣が崩され、掩蔽壕上の通気管が剥き出しになってしまったが、 地下構造物はまだそのまま残っている。
2004年2月の砲塔砲台跡。重機が入り周辺を更地にしている 同左。砲台跡部分近接 軍道。石積中央部が三角に変色しているが、ここが埋まっていた部分で土砂が取り除かれた
砲塔砲台部分を俯瞰する。砲台の穴は先端部にある。造成工事が上部に進んでいる。 11月の状態。写真中央部は観測所があったと思われる場所だが、破壊されている
2004年2月の歩兵用胸檣と空堀。樹木が伐採されているだけで地形の改変は行われていない 同左11月。ならされて更地になっている。写真左の小山に右翼観測所がある 同左。小山先端下部にある掩蔽壕の入口。おかげで調査しやすくなったが・・・。このように残されているが、 この先どうなるのか?
上記写真手前の横檣。2月時点。 同左11月。崩され、通気口だけがなぜが残されている。これはこれで貴重な状態。掩蔽壕入口は手がつけられていない 通気口近接。レンガ造りにモルタルが張られ、さらにその上にアスファルトが張られていたようだ。この下にレンガづくりの掩蔽壕がある