<構造・現状>
平根山の山頂に構築された保塁砲台。中央部に28p榴弾砲を2門設置する楕円形の砲座が南北に3基並び、その西側に平行して一直線に空堀状の掩蔽部が設けられ、塁道と弾薬庫、兵舎が造られている。観測所は砲座の両端にあった。
榴弾砲台の南手は陸正面防御用の堡塁であり、中央の独立小丘の西側に2基一組の砲座が3個所、東側には空堀が造られ前面は一直線の歩兵用胸墻となっていた。小丘には榴弾砲台の右翼観測所がある。
この堡塁には加農砲や野砲が設置され、3か所の掩蔽部も造られている。
明治中期の砲台で、レンガ造砲台の完成形である。地下施設の胸壁はレンガ造、アーチ部はコンクリート造である。レンガはイギリス積で、露天部や入口など風雨にさらされる部分には焼過ぎレンガが使用されている。地下施設は防湿のために排水施設が充実しているので注目してほしい。。
榴弾砲台部分は長い間、海上自衛隊横須賀通信隊千代ケ崎通信所として立入り禁止であったが、平成20年8月の報道で、千代ケ崎送信所が廃止になり、横須賀市が国の指定を受け史跡として保存していくことが発表された(平成27年3月10日、猿島砲台とともに国史跡に指定)。
横須賀市は、平成28年10月5日に文化財保護法に基づき史跡東京湾要塞跡(千代ヶ崎砲台跡)の管理団体に指定され、平成30年現在、教育委員会主催で隔月で見学会が開催されている。横須賀市では埋められていた砲座や観測所を発掘するなど全貌解明に力を入れており、いずれは一般開放することを目指している。⇒安全工事やガイド養成が進められ令和3年から一般公開されている。
南側の堡塁部分は、民地であり養豚場として使われた後は永い間放置されていたが、2004年頃から農園の造成工事が行われ、胸墻や横墻が削平されたが、掩蔽部や右翼の観測所は残された。現在、浦賀ファーマシーガーデンという観光農園となっている。