<構造・現状>
日清戦役直後に起工した堡塁。腰越堡塁と同様に、日清戦争中に観音崎の諸砲台の背面防御(陸正面防御:観音崎の手前で上陸し、観音崎の砲台に向かって攻めてくる敵に対応する)のために計画された。
平面は楕円形で、周囲を土塁で囲まれ、単独でも戦闘可能になっている。
正面に横墻があり、下部に掩蔽壕が、その左右に九センチ加農砲1門づつの砲座が築かれていた。
左側にも横檣があり、地下が掩蔽部になっていた。
現在、戦没船員の碑が設置された広場として整備され、右側砲座の壁が一部残っているのみで、当時の面影はほとんど失われている。
蛇足だが、この場所は観音崎公園で唯一富士山が望める場所である。