加太砲台

<沿革>
明治35年12月起工
明治37年2月竣工
斯式30口径27pカノン4門

<概要・構造>
由良要塞の紀伊半島側に計画され「前方一帯の海面を射撃し以て地の瀬戸に対する敵艦の動作を妨害す」ことを目的として建設された砲台。同時期に田倉崎砲台も築かれている。
ほぼ西を首線に27pカノン4門の砲座が並ぶ。砲座間には横墻が築かれ、左右横墻の内部には砲側弾薬庫が設けられている。中央横墻の下は不明である。砲側弾薬庫は両側から階段で降りる構造だが、深さ1mと浅い。横墻には砲座間の行き来しやすいためにか高塁道が設けられている。 弾薬庫から砲座へは男良谷砲台同様坂路が付けられている。 観測所は両翼に設置されており、右翼は指令所を付属している。 明治32年以降の建設であるため、コンクリートと石造りとなっているが、砲側弾薬庫の入口壁だけが何故かレンガ造である。 喉元部には深山第一砲台と同形式の濾過式井戸が設けられている。

<現状>
現在、砲台敷地には、和歌山市立青少年国際交流センターが建てられており、第2〜第3砲座とその間の横墻部分は撤去され、第四砲座は道路になっている。残存遺構は、第一砲座、両端の砲測庫2基、右翼・左翼の観測所だけであるが、周辺には火薬庫、弾廠、厠、監守衛舎、門柱といった付属施設が残されており、見ごたえのある砲台である。 弾廠と厠及び砲台入口には解説板が設置してある。 砲台部分は交流センターの敷地内にあるため見学には同施設の許可が必要。

第一砲座。胸墻はコンクリート製

右翼砲側庫と坂路及び塁道。

右翼砲側庫。

左翼砲側庫。両側の砲座は失われている。

同左。入口壁のみレンガを使用。窓はない。

砲側庫内部。奥壁はアールが付けられている。

右翼観測所詳細
第一砲座の右手、背後が谷という小道をさらに進む、敷地の端にあたる部分に右翼観測が設けられている。高さ3mほどの石垣に階段が設けられているが、上がると砲台長位置である。コンクリート半円形の掩壕で右手の壁に司令所連絡用の矩形の穴が2か所開けられている。壁には雨除け庇も付けられている。
司令所は、砲台長位置に隣接した地下にあり、内法3m×2.2mのコンクリート造の小さな部屋である。小道沿いに出入口が設けられ2段の石段が付けられている。窓も2か所開けられている。
司令所奥の開口部の先に観測室がある。直径3mの円形コンクリート造で、鋼製掩蓋は撤去されている。測遠機台も撤去され、跡のみが残る。
小道をさらに進むと下る石段が現れ、その先は中腹の看守衛舎に通じている。

小道を進むと観測所が現れる

砲台長位置

観測室

司令所から観測室を見る

谷へ降りる石段

左翼観測所

その他の遺構

弾廠。復旧されたもの。

厠。復旧されたもの

厠内部。右手が小便器。左に大便室

大便室内部

背面には汲取り口が並ぶ

火薬庫。コンクリート造で壁厚1.5m

火薬庫内部。入口は側面

田倉崎砲台も同構造だが入口が正面

濾過式井戸

看守衛舎

厠脇に移設された門柱

淡島神社から砲台への軍道

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