深山第二砲台

<沿革>
・明治25年1月:起工
・明治26年10月:竣工
・大正2年:廃止予定
・大正11年:演習砲台に改築
・昭和6年除籍
・28p榴弾砲6門、15p綫臼砲4門

<概要・構造>
 由良要塞に属し、紀伊半島側に第一砲台とともに最初に築造された砲台。観音崎同様、第二砲台の砲が若干早く(半年)着工している。目的は、友ヶ島の東南海面を射撃することでこの方面の敵の上陸と攻撃を妨害することであり、構造は深山第一砲台とほぼ同様であり、陸正面防御として15p綫臼砲4門を備えた堡塁も併設されていた。日露戦争中にこの臼砲4門が戦地へ搬送され、要塞防御要領書から削除された。標高130m、首線は南西。射界は360度。
第一砲台と同じく大正2年に廃止砲台の予定とされたが、その後深山重砲兵連隊の演習砲台として28p榴弾砲4門の砲台に改築された。

<現状>
瀬戸内海国立公園の休暇村紀州加太の敷地となっている。砲台は戦後に爆破され、そのあとに休暇村が造られたため、遺構はほとんど残っておらず、わずかに一箇所堡塁の地下掩蔽部が残り砲台の存在を教えてくれる。

堡塁の砲側弾薬庫であろう

同左内部。奥行10m、第一砲台の堡塁掩蔽部と同構造

休暇村加太のホテルの部分が第二砲台の場所

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