友ヶ島第二砲台

<沿革>
・明治27年8月起工
・明治31年4月竣工
・昭和8年要塞再整理修正計画で廃止
・昭和10年3月全部除籍
・加式28口径27pカノン4門

<概要・構造>
友ヶ島第一砲台の北側約50m離れた海岸低地に建設された砲台。目的は第一砲台同様「由良海峡を射撃し以て同海峡に於ける敵艦の通過を防遏(防止)する」である。
 首線は西。ほぼ南北に4つの砲座が一列に並び、備砲は仏国製加式28口径27pカノン4門。第一砲台同様、砲座と背墻の間は掘割塁道であり、両端から階段で降りられるようになっている。また、掘割塁道上には横墻への階段橋が3か所架けられている。横墻地下には砲側庫が、その対面である背墻地下には浅い掩蔽部が複数設けられている。海岸の平地にあり敵艦から丸見えであることから胸墻は厚く巨大なコンクリート製である。横墻及び地下構造物はレンガ造であるが、アーチ部にはコンクリートが用いられている。 砲台入口は第三砲座の背後の土塁を開削して造られている。観測所は設置されていないようである。

*平面図の赤線部分は地下構造物。右翼部分は推測である。空中写真は、平成20年国土地理院撮影

<現状>
友ヶ島の砲台の中で唯一大きく破壊されている砲台である。右翼の第一と第二砲座部分の損害が大きく、ほぼ原型を留めていない状態。第三、第四砲座部分は胸墻が大きく破壊されているが、砲座や横墻はどうにか原型を留め、掘割塁道と砲側庫などは残されている。一般的には、戦後爆破されたことと波浪によって大きなダメージを受けたと言われている。しかし、壊れ方を見ると爆破というより大部分が波浪による崩壊ではないかと思われる。
逆に、コンクリートやレンガ構造物のダイナミックな崩壊の様子が魅力的な砲台と言える。しかし、今後何か対策を取らないと、台風や暴風雨のたびに破壊が進み、いずれはすべてが崩壊してしまうことが予想される。

正面から第四砲座の胸墻。大きく割れている

第四砲座。アンカーボルトが残る

第二砲座は胸墻が崩落し砲座面だけ残る

横墻。独特な形状である

横墻へ渡る階段橋

右翼横墻は完全崩壊

掘割塁道。右壁に掩蔽部

左翼端から掘割塁道に降りる階段

砲台入口

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