友ヶ島第三砲台

<沿革>
・明治23年10月起工
・明治25年5月竣工
・28p榴弾砲8門

<概要・構造>
 友が島(沖の島)の中核砲台。島の南西側の中央部、標高106mの山頂に築かれた。その目的は「前方一帯の海面を射撃し以て由良海峡及び地の瀬戸に対する敵艦の動作を妨害す。」首線は南西。砲座はすり鉢型で全周を射撃できた。
 北西から南東にかけて4つの砲座が並び各2門、計8門の28p榴弾砲を設置。日露戦争の際、2門が戦地へ搬送されたため備砲は6門に変更された。砲座間の横墻には弾薬供給と砲座間連絡用の地下塁道が通じ、塁道からはさらに階段で地下の砲側庫へアクセスする。砲側庫には点灯室が付属し、天井には揚弾井が上の塁道へと開口、砲座へ弾薬を供給する。砲側庫から背面の交通路まで地下通路が続いている。
 観測所は両翼にあるが左翼の砲側にも存在している。左翼背部には点灯室を付属した4連の弾薬庫と直角に曲がった部分に掩蔽部が設けられている。弾薬支庫と言われている。さらに、発電所や将校宿舎、厠などの付属施設も残されている。
*平面図の赤線部分は地下構造物である。

<現状>
 右翼観測所を欠く程度で、ほぼそのままの状態で残されている。地下施設も良好な状態で残り、要所に照明が設備されているので安全に見学できる。千代ケ崎砲台(東京湾要塞)と異なり地下砲側庫も自由に見学できる。ただし、点灯室や弾薬支庫には照明がないので、明かりを持参されたほうが安心。なお、危険な階段などは通行禁止になっている。
 ほぼ同じ内容の千代ケ崎砲台に先行して建設された砲台であるが、大変見ごたえがあり、こちらも国史跡に指定されておかしくない状態である。

28p榴弾砲の砲座

砲座を結ぶ地下塁道

砲側庫へ降りる階段

砲側庫内部、天井の穴は揚弾井

砲側庫内部。壁に点灯窓。

点灯室

砲側庫から背面交通路への通路

左翼の弾薬支庫

弾薬庫内部は奥で通じている

弾薬庫内部と前面壁

砲側観測所

将校宿舎

発電所

入口と門柱

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