友ヶ島電燈

<沿革>
・明治33年 建設位置を当初計画から第三砲台の東南岬端に変更
・明治34年1月 起工。ドイツシュッケルト社製90p射光機
・明治34年10月 竣工
・昭和5年 射光機をアメリカ「スペリー」式に改造

<概要・現状>
友ヶ島地区唯一の電燈(探照灯)。射光機は当初ドイツシュッケルト社製90p射光機が設置されたが、昭和5年スペリー式に改造された。 隠顕式で通常は電燈井に格納され使用する際に上昇させて使う方式である。 照明所は友ヶ島第三砲台の東南の岬端に建設された。機関舎(発電所)は野奈浦の谷地にあった(日本築城史)。発電所から照明所までは、御影石製の架柱を使って配電した。
現在、照明所は土塁で囲まれた窪地にあり、電灯井や手前の通信室などもそのまま残っている。また、窪地内に大量の瓦の破片が残されていることから、何らかの木造施設もあったことが推測される。 発電所の状況は未確認であるので不明。黒く塗られた御影石製の架柱は、照明所への軍道沿い多数残されている。

照明所背面。掩蔽部である。

内部。通信室と推測

電燈井内部から見上げる

電燈井上部

井戸(貯水槽)もあった

御影石製の架柱

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