<概要・現状>
友ヶ島地区には6つの砲台が築かれたのだが、砲台以外にも、兵舎や火薬庫などの付属施設も多く造られていた。現在でもレンガ造火薬庫や厠、係船場などの施設が残り、当時の面影を色濃く残している。これらは、補修されて現在も利用されているものもあれば、崩壊に任せているものもある。当時のものと思われる建物がほとんどであるが、新しいもの、正体がわからないものも多い。いずれにしても明治期の貴重な遺構であるので、砲台部分だけでなく島全体を由良要塞の遺構博物館として保存をお願いしたいものである。
野奈浦にあった砲廠は、明治31年3月起工、明治31年6月竣工。兵舎や厠、炊事場、井戸などは明治34年11月起工、明治35年11月竣工。隣接谷の火薬本庫は、明治37年10月起工 明治38年3月竣工である。
トーチカや防空壕など、太平洋戦争期の遺構も残っている。
係船場。戦後延長されている
砲弾と要塞地帯標と推測される標石
砲廠ではなかろうか
兵舎か?
これは厠
基礎のみ残る
火薬本庫(有煙火薬庫)
同左。玄関が二か所、桁行24間の大建築
内部。木骨レンガ造である
火薬本庫(無煙火薬庫)
これも火薬庫だと推測するが崩壊
同左。基礎部分
第二砲台にあるトーチカ
トーチカ背後の地下壕
この地下壕はL字に曲がって背後に開口
軍道沿い要所に口を開けている防空壕
内部。大概10m位で行き止まり
島内の遊歩道は、つまり軍道