横須賀海軍工廠

海軍施設
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(沿革)
・元治元年:幕府は横須賀湾に製鉄所を作ることを決定
・慶応元年09月27日:横須賀製鉄所鍬入式挙行
・明治元年04月:明治新政府に移管。神奈川裁判所所管。以降大蔵省→民部省→工部省に移管
・明治04年02月08日:第一船渠開業
・明治04年04月07日:横須賀造船所に改称
・明治05年10月08日:海軍省に移管
・明治09年12月:軍港水道走水系統完成
・明治17年12月15日:横須賀鎮守府に移管
・明治19年02月23日:横須賀海軍造船所に改称
・明治22年05月28日:横須賀鎮守府造船部に改称
・明治30年10月8日:横須賀海軍造船廠に改称
・明治33年05月20日:兵器部を兵器廠に改称
・明治36年11月05日:造船廠、兵器廠を統合し、横須賀海軍工廠に改称。造船部、造兵部、造機部、会計部を置く。
・大正10年03月01日:軍港水道半原系統完成。
・大正12年04月:総務部、医務部、機雷実験部を置く
・昭和04年04月:航空機実験部を置く
・昭和05年12月:航空発動機実験部を置く
・昭和06年05月:廠歌を制定
・昭和06年10月:廠章及び廠旗を制定
・昭和07年04月:航空実験部、航空発動機実験部を廃す
・昭和10年04月:機関実験部を置く
・昭和10年08月:光学実験部を置く
・昭和11年07月:航海実験部、電池実験部を置く
・昭和13年04月:通信実験部を置く
・昭和17年02月:平塚分工場、川崎分工場を開設
・昭和17年04月18日:ドゥーリットル空襲
・昭和18年07月:通信実験部を廃す
・昭和18年10月:造兵部深沢分工場を開設
・昭和19年02月:潜水艦部を置く
・昭和20年07月18日:横須賀軍港空襲
・昭和20年10月15日:横須賀海軍工廠閉庁

(概要)
・日本の近代技術発祥の地とされる横須賀製鉄所を前身とする海軍直轄の軍需工場である。当初は外国や民間の船舶も扱っていたが、明治32年以降は日本海軍艦艇の専門工場となった。
・主に艦艇や兵器、弾薬の製造、開発、修理を受け持っていた。大正から昭和初期にかけては航空機の造修も行っていたが、昭和7年4月1日の航空廠開設に伴い、同廠に移管された。
・海軍工廠令第一条、 「海軍工廠ハ艦船兵器(航空兵器ニ付テハ海軍大臣ノ特ニ指定スルモノニ限ル以下同ジ)ノ造修、購買及実験ニ関スルコトヲ掌ル海軍工廠ハ前項ノ外工作物タル有線通信装置ノ造修、購買及実験ニ関スルコトヲ掌ル」
・大正2年9月20日竣工のレンガ造2階建ての庁舎は、関東大震災により被害を受けたため、鉄骨造2階建ての2代目庁舎が昭和2年5月に建てられた。この庁舎は現存する。
・終戦時の組織は、総務部、医務部、会計部のほか、作業部として造船、造機、造兵、潜水艦の4部、実験部として、機雷、機関、光学、航海、電池実験 の5部が置かれていた。
・他に平塚、川崎に分工場が置かれた。造兵部も深沢に分工場を開設した。
・横須賀海軍工廠では、主に戦艦、航空母艦、巡洋艦などの大型の艦艇が建造されたが、大戦末期には、海龍や震洋といった特攻用舟艇を製造していた。
・大戦末期には空襲対策として工場疎開が行われた。木造建物の間引き解体や地下化が進められ、背後の丘陵には網の目のように地下工場が構築された。

(現状)
・戦後、米海軍に接収され、造船部、造機部が所在する楠が浦・泊地区は、そのまま現在の米海軍横須賀基地の艦船修理廠(SRF:シップリペアファシリティー)となって使用され続けている。
・米海軍の国外における最大施設で、工廠時代から培われた技術が米第七艦隊を万全の状態に維持管理している。
・現存する3代目庁舎は、CPO(下士官)クラブとしてそのまま使用されている。また、歴史遺産としても貴重な一号ドックから六号ドックまでの6つのドライドックをはじめ、楠が浦、泊地区には、数多くの施設が工廠時代からそのまま残され、使用され続けており、世界遺産レベルの遺構である。残念ながらクレーン類は老朽化により更新されている。
・最近まで、横須賀製鉄所の副首長であったティボディエの邸宅(明治2年完成)が現存していた。この建物は東日本最古の洋館として大変貴重なものであるが、老朽化のため取り壊されるにあたり、米海軍の好意によって、将来の再建に向けて、横須賀市教育委員会が部材を引き受け保存している。 海軍工廠では、この建物を参考品陳列館として使用していた。
・海軍工廠が震災復興を記念して建立した沿革碑震災記念碑も残されている。
・対岸のヴェルニー公園(旧臨海公園)には、横須賀製鉄所の恩人小栗・ヴェルニー胸像と二人を顕彰する開港碑がある。
・船越地区の造兵部は東芝ライテックの工場及び海上自衛隊施設として、光学・航海・電池実験部も海上自衛隊施設として、久里浜地区の機雷実験部も海上自衛隊施設として使用されている。
・海軍工廠の時代から引続き、基地内は立入ることはできないが、対岸のヴェルニー公園から遠望することができる。観光客に人気の横須賀軍港めぐりでは、対岸からは見えない小海や六号ドック附近など全体を眺めることができる。
・横須賀海軍工廠のトップは中将または少将であったが、現在のSRFの司令官は大佐級である。
3代目庁舎。現在はCPOクラブ 庁舎内部 関東大震災で半壊した2代目庁舎。

現在の海軍工廠俯瞰。第1号〜第3号ドック附近 4代目庁舎とも言えるSRF庁舎

ティボディエ邸敷地に残る御真影奉安庫(昭和5年) 同左。特殊潜航艇が埋められている 初代庁舎に掲げられていた石造御紋章