衣笠弾薬本庫

陸軍施設

東京湾要塞の弾薬本庫として、昭和9年に三浦半島の中央部に構築された。 完全防湿の洞窟式弾薬庫で、建設当事は世界無比と称されたそうである。内部はコンクリート巻き立ての外庫と厚さ30cmの鉄骨鉄筋コンクリ−トの内庫の二重構造であり、内庫は前室を設け幅7m奥行30mであった。12本造られたが、2本一組で間には連絡路を設け、誘爆しないように間隔は50mとった。(以上浄法寺朝美「日本築城史」原書房)
戦後、横須賀市が国から無償借り受けし、公園墓地として整備されている。墓地の造成工事により喪失し、現在確認できるのは、9区脇の駐車場にある2本、37区奥の駐車場の2本の計4本だけである。
左写真は、昭和29年の空撮で、谷戸の奥深くに築かれていたのがわかる。写真上の黒線は現在確認できる弾薬庫を示している。
周囲の丘陵の稜線には、敷地境界標石と警戒柵柱が残っている。

公園墓地の入口

9区脇駐車場に残る弾薬庫。
向かって左手のもの。

向かって右手のもの。

37区奥の弾薬庫。向かって左手
のもの。米軍に接収されていた際
の名残英字の表示が残る。

向かって右手のもの。

内部。

このページのトップへ