忠霊塔(浄林寺) |
軍事遺物 |
戻る |
中島地区における、日清戦争から大東亜戦争にかけての戦没者の忠霊塔。 日清戦争1柱、日露戦争3柱、支那事変1柱、大東亜戦争24柱の計29柱が合祀されている。地域の方々によって昭和32年9月23日に建立された。 碑高310cm、幅183p、厚さ50p、台石35p。 所在:浄林寺(茅ヶ崎市) (刻字) 碑正面: 「忠霊塔 靖国神社宮司 筑波藤麿」 碑裏面: 「日清日露及び大東亞戦役等に際し戦歿せられたる諸勇士の英魂を永遠に慰靈せん が為當部落民の總意に依り茲に忠靈塔を建立し其の偉烈を仰ぎ後世に傳えんとす 昭和三十二年九月二十三日 中島部落 日清戦争 大森菊次郎 明治廿八年三月廿二日 澎湖島 三十二才 日露戦争 加藤福太郎 明治丗七年九月十八日 旅順口鳩湾 二十五才 磯崎庄太郎 明治丗八年十一月七日 満州奉天 加藤勇次郎 明治四十年八月五日 戦病死 二十八才 支那事変 清水信之 昭和十三年七月十五日 滿洲公主嶺 二十才 大東亞戦争 塩崎貞海 昭和十七年十一月十二日 ガダルカナル島 二十八才 藤間正雄 昭和十八年九月廿一日 戦病死 二十七才 三枝木忠治 昭和十九年四月廿二日 ニューギニヤ島 三十八才 藤間信義 昭和十九年四月廿六日 フィリッピン沖 二十六才 大森藤吉 昭和十九年七月八日 中支 三十七才 根岸篤司 昭和十九年八月三十日 東部ニューギニヤ島スマタイン 二十七才 金子喜太雄 昭和十九年九月一日 西部ニューギニヤ島ムガ 二十二才 清水久雄 昭和十九年十月十九日 ビルマ 二十七才 内田寅雄 昭和十九年十月二十日 フィリピンブイサヤン海 二十八才 塩崎公也 昭和十九年十月廿七日 フィリピン 二十六才 伊藤定男 昭和十九年十二月八日 メレヨン島 二十九才 岡田治郎 昭和二十年二月廿七日 フィリピンマニラ市 二十七才 森隆次 昭和二十年三月七日 ポートプレンセル 二十七才 根岸猪祐 昭和二十年三月十六日 中支来陽 三十五才 河村岩吉 昭和二十年四月廿五日 ニューギニヤ島 三十二才 鈴木喜久雄 昭和二十年五月二十日 フィリピンルソン島 二十五才 森千代一 昭和二十年六月二十日 フィリピンルソン島 三十六才 崎藤吉 昭和二十年七月一日 フィリピンレイテ島 二十三才 根本眞 昭和二十年九月十一日 中支南京 三十二才 安本喜一 昭和二十年九月三十日 ビルマ 二十五才 府川淺次郎 昭和二十年七月十七日 空爆死 五十五才 根岸ツル 昭和二十年七月十七日 空爆死 二十五才 中本清一 ラングーン 二十五才 藤間義雄 昭和十八年九月二十六日 戦病死 二十五才 □田露堂謹書 有限会社 富田石材工業刻」 |