重砲兵発祥地の碑

軍事遺物
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陸軍重砲兵学校を顕彰するため、元将校集会所前庭(現馬堀小学校内)に昭和43年11月に建立された。碑は射撃訓練を行っていた富士演習場に因み、富士山の溶岩塊の前後に黒御影石を嵌めこんだものであった。 しかし、平成19年8月、庭の修復に合わせて碑も修復された。
・碑高182cm(台座含む)、幅80cm、奥行50p
・所在:馬堀小学校(横須賀市)

(刻字)
碑正面: 「重砲兵発祥地 永持源次謹書」
裏面: 「当処は明治二十二年創立せる陸軍重砲兵学校の旧址なり本校は重砲兵の進歩発展に貢献し昭和二十年迄に三万の将兵を練成す正に重砲兵発祥の地と謂うへし 然るに往時の施設は逐年改廃せられ近くその姿を没せんとす全国同憂の士深く之を惜しみ由緒ある遺跡を永く顕彰する為明治百年に方り此の碑を建つ
昭和四十三年十一月 重砲校遺跡顕彰会」
*碑文は最後の重砲兵学校長北島驥子雄中将による。また、碑前面右手に下記のごとく修復のことを刻んだ小碑が付属している。
「本記念碑本体は富士の溶岩塊により築かれていたが、この度の修復に当たり保全上堅固な伊達冠石に交換した。 平成十九年八月 重砲会碑修復事業協力者一同」
旧発祥地碑
発祥地碑の脇には、昭和天皇がこの地を行幸されたことを記した行幸之地碑が建てられている。 隣には由来を刻んだ碑が建てられており、 内容は次のとおり。
「昭和天皇当地行幸記録
昭和三年五月二十四日 陸軍重砲兵学校時代
昭和二十一年二月二十日 浦賀引揚援護局時代
右の碑は浦賀引揚援護局が建立したものを、平成十九年八月重砲会が修復しこの記録を刻した。
重砲会碑修復事業協力者一同」
なお、昭和3年の行幸では同時に千代ケ崎砲台も訪問されており、野立所の碑が残されている。