明治20年に消息を絶った巡洋艦「畝傍」と明治25年に衝突沈没した水雷砲艦「千島」の乗組員の慰霊の地である。いずれの艦もフランスで建造されたもので、日本への回航途中での事故であった。参道の両側には「畝傍」関係者の墓碑が、右側には「千島」関係者の墓碑が並んでいる。
参道の突き当りが「畝傍」の哀悼碑であり、その右側の砲身が「千島」の哀悼碑である。
所在:青山霊園(港区)
@海軍主計従七位薬王寺寛基之墓 明治廿五年十一月三十日卒 A海軍大尉従六位宮内重秋之墓 明治廿五年十一月三十日卒(水雷長) B海軍大尉従六位貴島才蔵之墓 明治廿五年十一月三十日卒 C海軍大軍醫正六位佐々木文蔚之墓 明治廿五年十一月三十日卒(軍医長) D海軍大機関士従六位大塚文倫之墓 明治廿五年十一月三十日卒(機関長) E海軍大尉従六位岡部鉚造之墓 明治廿五年十一月三十日卒(航海長)
@海軍少佐福島虎次郎夫妻之墓
A海軍大尉正七位勲六等飯牟禮俊位之墓 明治二十年十月十九日卒
B海軍小技士候補生杉成吉之墓 明治二十年十月十九日歿
C海軍上等兵曹新庄憲之墓 明治二十年十月十九日歿
D海軍船匠師網谷幸吉之墓 明治二十年十月十九日歿
E海軍大機関士従七位森友彦六之墓 明治二十年十月十九日卒
F海軍上等兵曹市村松爾之墓 明治二十年十月十九日卒
G海軍機関師勲八等佐藤専一郎之墓 明治二十年十月十九日歿
H海軍一等機関手古内松次郎之墓 明治二十年十月十九日歿
*福島虎次郎少佐は、現地アーブル港で赤痢にて明治19年7月2日死去。現地に葬られ日本には遺髪が届けられた。