横須賀海軍警備隊 横須賀地区高射隊 第五高角砲大隊 二海堡高角砲台という。
(歴史)
・第二海堡は、陸軍が首都防衛のため、明治から大正にかけて東京湾に建設した3つの海上砲台のひとつで、明治22年に着工、大正3年に竣工した。
27cmや15pカノンが設置されたが、砲塔式や隠顕式が採用され、兵舎や弾薬庫なども全て地下化された強力な砲台であった。
しかし、竣工後わずか9年、関東大震災で被災し廃止された。その後、海軍が高角砲を設置し、防空砲台として太平洋戦争を戦った。
・高角砲台は、昭和16年頃に建設が始まり、昭和17年4月に完成した。当初は、8p高角砲が4門設置されていたが、途中で12.7p連装高角砲に換装された。
・終戦時の装備は、12.7p連装高角砲2基4門、25o連装機銃2基。95式陸用高射機1基、98式高角測距儀1基、96式150p探照灯3基を装備していた。
8p高角砲の位置は不明だが、12.7p連装高角砲は、西砲座が27p隠顕式カノンの第二砲座内に、東砲座は、15p砲塔カノンの第四砲座の脇に設置された。
・現在、西砲座は破壊され弾室の残骸のみ見ることができるのだが、昭和52年の空中写真では砲座が確認できるので、それ以降に破壊されたものである。東砲座はそっくり残っているが、その上に太陽光パネルが設置されている。なお、海堡中央部の27pカノン砲塔の砲座上に観測所状の構造物がある。防空指揮所と言われているが、全く無防備の状態であり、指揮所と言うより監視所ではないか。8p高角砲設置の際に作られてものであろう。
また、海軍は防空砲台のほかに、特設見張所(乙)、防備衛所(丙)も設置していた。
・敗戦時に連合軍によって砲台は破壊され、廃墟として放置、釣りのメッカとなっていた(当時は渡船が出ていた)が、海上災害防止センターの訓練施設が設置されてからは、上陸禁止となった。
(現在)
管理者である国交省は、長崎軍艦島の成功に刺激を受けて、2018年に第二海堡上陸ツーリズムとして上陸ツアーを開始。2019年春から事業化されることになった。
しかし、残念なことであるが近年の整備工事で地上構造物はほとんど破壊され、あまり見るべきものは無い。東京湾の真ん中という絶景が見どころであるが、今後は地下施設の公開が望まれる。また、現役の頃からの課題であるが、多少の波浪でも桟橋に接岸が出来なくなるため、通年事業化にあたっては、桟橋の改良が必要である。
*現在の変貌ぶりはグーグルマップでご確認下さい。
東砲座。太陽光パネルが設置されているが、ほぼ形状は残る。
破壊された西砲座。下に転がっているのは弾室。
27p砲塔上に築かれた防空指揮所と言われている構造物
同左上部。どうやらただの平場である。