<概要・現状>
対露戦に向けて建設されたもので、陸軍の男良谷砲台に隣接している。建設にあたり明治32年頃から陸軍の男良谷砲台建設との調整がはじまり、明治37年、日露開戦時に完成したようである。東京湾の伊勢山崎水雷発射場と同様である。
陸軍の男良谷砲台の目的にも、海軍の水雷発射場を敵艦から守ることが含まれており、陸海軍協力の防衛施設となっている。
魚雷は崖の中腹の発射室からケーブルで吊り下げて海面まで下降入水させるという方式である。
これも、伊勢山崎と同じ仕組みであるが、伊勢山崎では入水する部分が浅く絶えず浚渫が必要となるという課題があったが、こちらはどうであったか。
兵舎などの付属施設は、陸軍砲台の裏手に建設されていた。
現在、発射室は崩壊しているが、そこまでの隧道と電灯座及び上陸場のみ残り、他の機関室や兵舎などの諸建物は消滅している。
ただ、機関室内にあったと推測されるレンガ構造物や井戸などが残っている。また、不思議なことに丁寧に造られた石造の排水施設も残っている。
「第33号 由良水雷隊兵舎仮設 同発動機室及ひ電燈室仮設同士官室及ひ附属物仮設位置図」(防衛省防衛研究所)(https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C05110169500)を加工して作成
外から見た発射室の場所
発射室への隧道入口
隧道内部。突き当りの発射室は崩落
機関室跡に残るレンガ構造物
兵舎脇の井戸
上陸場
海への排水施設(暗渠)内部
谷への排水施設
発射室脇から海への排水施設
手前の軍道沿いに残る廃墟のレンガ壁
海軍の境界標石も残る