原爆の火の塔(大船観音寺) |
軍事遺物 |
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福岡県星野村出身の山本達雄氏は、原爆投下後の広島の叔父宅でくすぶっていた残り火を自宅に持ち帰り、この火を護り続けてきた。昭和41年、新聞にこの事実が報道された結果、昭和43年8月、「原爆の火」は、星野村役場前の「平和の塔」に移された。 被爆45周年にあたり、大船観音寺の境内に平和の塔から分火されたものが、この原爆の火である。 火は灯篭型の塔内に灯されており、灯篭には「被爆四十五周年 原爆の火 神奈川県知事長洲一二」と刻まれた石板が嵌め込まれている。 脇には、碑誌も設置されており、以下の文章が記されている。 「原爆の火 一発の原子爆弾によって、数十万人の広島を焼き尽くした“怨念の炎”は、いまなお福岡県星野村で燃えつづけている。 未来永劫、平和を願う“原爆の火”としてその火をこの塔に採火した。 被爆45年7月29日神奈川県原爆被災者の会 以下 英文」 また、塔の隣には、昭和45年4月に建立された「原爆慰霊碑」や昭和60年8月に建立の「平和祈念塔」がある。 また、横浜市青葉区の徳恩寺にも平成12年に分燈されたGRACE”こころ”がある。 |
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塔内の原爆の火 |