馬門山海軍墓地

海軍施設
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「まもんざん」と読む。海軍省が明治15年1月馬門山海軍埋葬地と定めたもので、戦死または殉職した軍人のために設けた。正式には馬門山海軍葬儀場と言う。海軍が消滅した戦後は、昭和24年4月から横須賀市が引継ぎ、市営墓地として維持管理し、一般にも開放された。毎年五月には地元町内会や旧海軍、海自関係者らによって墓前際が行われている。
敷地は上中下の三段にわかれ階級別に埋葬されている。下段、中段は兵の墓、上段には慰霊碑や士官の墓が建ち並び、全1,592柱(一般墓地は除く)の御霊が眠っている。

在りし日の正門。今は新装されており、
旧門柱は脇に保存されている。右端は表札拡大。
上段の慰霊碑は、軍艦河内殉難者之碑軍艦筑波殉難者之碑特務艦関東殉難者碑北京籠城軍艦愛后戦死者碑上海事変戦死者之碑第四艦隊遭難殉職者之碑支那事変・大東亜戦争戦歿者忠霊塔の7基が建立されている。ほかにも、関口特攻兄弟之碑や個人慰霊碑や士官の墓碑が建立されている。
中段、下段の墓地は明治時代に埋葬された兵の墓で、墓石には階級、氏名、没年、出身県、身分(平民)などが刻まれている。
中段には、招魂碑や有志者や發起人の石碑を伴っている墓石が数基ある。また、下段には、海軍婆さん猿九重野女史の顕彰碑もある。

下段墓地
墓地入口には、拝霊堂が建つ 明治20年代歿の兵の墓碑が多い 同形状の墓石が整然と並んでいる。

中段墓地
中段墓地は明治10年代歿の兵の墓碑が多い 下段同タイプの墓石が整然と並んでいる 下段と異なり板碑を伴っているものがある

上段墓地
中央広場を囲んで7基の慰霊碑と士官の墓が
並ぶ
下士官墓碑 兵の墓地と異なり、明治から昭和にかけての
墓地である

(独立墳墓について)
中、下段の墓地は、兵の墓地であり総て同形状の墓碑である。棹石は一辺15p、長さ60pの直方体で、頂部は3p高の尖頭になっている。 台石は、高さ17.5p、幅34p前後で、上面には水受けが穿たれている。
棹石正面には埋葬者の階級と氏名、左側面には身分と出生県及び享年、右側面には戦死年月日が刻されている。明治15年1月22日に海軍一等水兵竹本飛之助の墳墓を建立して以来、昭和23年まで297柱の英霊が眠っている。多くは明治10年代〜20年代の戦死者である。 上段には同形上で一回り大きい下士官の墓碑がある。

「下段墓碑:例」
正面:故海軍四等水兵佐藤喜八之墓  左:新潟縣平民享年廿二年十ケ月 右:明治廿六年二月三日歿
正面:故海軍五等信号兵石坂國四郎之墓 左:群馬縣平民享年十九年十ケ月 右:明治廿九年一月廿九日歿
「中段墓碑:例」
正面:故海軍一等木工宮本儀太郎之墓 左:熊本縣士族享年三十歳二ケ月 右:明治二十三年八月五日死ス
「上段墓碑:例」
正面:海軍三等兵曹橋平太郎之墓 左:廣島縣沼田郡竹屋邨八百四拾五番地士族 右:明治十七歳十一月廿九日歿

(拝霊堂)
下段墓地の手前に、こじんまりした霊堂がある。 昭和7年8月に海軍が参拝者の一括礼拝に便利なように建設したもので「拝靈堂」という。 高さ約250p、幅180p、奥行135pのコンクリート製の舟型のお堂である。 正面の子扉内には「馬門山旧海軍墓地合祀者靈位」と書かれたお位牌が安置してある。 海軍ならではの、簡素だが軽快で洗練されたデザインである。