横須賀鎮守府(司令部)

海軍施設

(沿革)
・明治17年12月15日:明治9年横浜に開庁した東海鎮守府が横須賀に移転し、横須賀鎮守府と改称。
・明治22年05月16日:横須賀海兵団設置。
・明治33年05月20日:横須賀海軍港務部開庁。
・明治36年11月10日:横須賀海軍工廠開庁。横須賀海軍経理部開庁。
・明治42年12月01日:横須賀海軍人事部開庁。
・大正02年04月01日:横須賀防備隊開庁。横須賀海軍無線電信所開庁。
・大正05年04月01日:横須賀海軍航空隊開庁。
・大正09年10月01日:経理部から横須賀海軍建築部が独立。
・大正12年04月01日:横須賀海軍軍需部開庁。横須賀鎮守府監獄署を横須賀海軍刑務所に改称。
・大正13年12月20日:横須賀海軍艦船部開庁。
・昭和07年04月01日:海軍航空廠開庁。
・昭和12年06月01日:横須賀海軍無線電信所は横須賀海軍通信隊と改称。
・昭和15年04月05日:海軍航空廠は、海軍航空技術廠に改称。
・昭和16年04月01日:横須賀潜水艦基地隊開庁。
・昭和16年11月20日:横須賀第二海兵団新設。横須賀海軍警備隊開庁。
・昭和17年04月01日:野比海軍病院新設。
・昭和18年06月25日:横須賀海軍運輸部開庁。
・昭和18年08月18日:横須賀海軍建築部は横須賀海軍施設部に改称。
・昭和19年01月04日:横須賀第二海兵団は、武山海兵団に改称。
・昭和20年02月15日:海軍航空技術廠は、第一海軍技術廠に改称。
・昭和20年08月30日・連合国軍上陸。横須賀海軍基地引渡。
・昭和20年10月15日:横須賀海軍工廠閉庁
・昭和20年11月20日:戸塚道太郎鎮守府長官退任。
・昭和20年11月30日:横須賀鎮守府閉庁。

(概要)
・第一海軍区(樺太から三重県にかけての太平洋海域)と南洋諸島地域という広大な海域を横須賀軍港を拠点として管轄した。呉、佐世保、舞鶴の4鎮守府の筆頭となる日本海軍の最大・最重要拠点であった。
・所属艦船の造修、兵器・軍需物資の補給、所属部隊の人事、教育、また、横須賀軍港の維持管理及び管轄区域の警備・防備など多岐にわたる業務を行っていた。
・開庁当初は、機関部、主計部、軍医部、横須賀造船所、横須賀屯営、水兵練習所、武庫、倉庫、横須賀海軍病院、軍法会議、監獄署、艦船が所属していた。
・終戦時には、幕僚、人事部、経理部、軍需部、司法部、艦船部、港務部、施設部、運輸部、海軍病院、軍法会議、海軍刑務所海軍工廠、海軍火薬廠、海軍燃料廠、海軍衣料廠、海軍療品廠、海軍技術省(航空技術廠)、航空廠、海兵団、警備隊、防備隊、潜水艦基地隊、設営隊、輸送隊、通信隊、特別根拠地隊、 特攻戦隊、特別陸戦隊、海軍航空隊、連合航空隊、陸上輸送隊、衛生部、報道部などが所属する大組織であった。また、海軍砲術学校、海軍水雷学校、海軍通信学校、海軍航海学校、海軍機関学校、海軍工作学校、海軍気象学校、海軍対潜学校、海軍電測学校、海軍衛生学校の各術科学校も横須賀鎮守府の隷下にあった。
・鎮守府司令長官は、初代の中牟田倉之助中将から45代戸塚道太郎中将まで43名が在籍した。(井上良馨中将と野村吉三郎中将が2度在籍)。なお、昭和20年11月20日から30日までの11日間、代理で吉村啓蔵少将が務めている。 長官官舎は大正2年に完成。最初の居住者は、第16代海軍中将東伏見宮依仁親王である。
・明治23年4月にレンガ造2階建ての庁舎が建てられたが、関東大震災により倒壊、鉄骨造三階建て耐震構造の2代目庁舎が大正15年10月に建てられた。

・戦後、横須賀海軍工廠とともに米海軍に接収されたが、そのまま現在の米海軍横須賀基地となって使用され続けている。
・現存する2代目鎮守府庁舎もそのまま在日米海軍司令部として使用されている。他にも経理部庁舎など戦前からの建築物が現存し、使用されている。
・大戦中は、庁舎裏山に大規模な司令部壕が構築されたが、これも米海軍によってコマンドケイブとして使用されている。
・フェンスの向こうはアメリカという現状であるが、横須賀市の基地ツアーや公開イベントなども多数行われ、意外に立ち入る機会には恵まれている。
・個人的見解だが、米軍は占領者ではあるが、旧日本海軍の建物を使い続け、また破却する場合でも調査記録を許すなど、歴史を残すことに理解があるようである。

日本に展開する米海軍の中枢「在日米海軍
司令部」が使用している旧鎮守府庁舎。
一部窓が塞がれているが、ほぼそのままの
形で使用されている。

車寄せ部分。外壁はタイル貼りである。

庁舎背面。

昭和2年竣工の鎮守府会議所。1階は横須賀
海軍艦船部の庁舎として使用された。米海軍
横須賀基地司令部として使用されている。

正面入口部分。鉄骨造2階建て鎮守府
庁舎と同じタイル貼りである。

現存する標札。

横須賀海軍経理部庁舎。昭和3年竣工。
鎮守府庁舎同様の造りである。

昭和5年竣工の汽缶場・烹炊所。

昭和10年竣工の電話交換所。厚い壁で覆わ
れている。現在も交換所として使われている。

司令部地下壕。横須賀地区の対空防御統括司令部があった。

当時の司令部壕入口。右手の2基が左写真の壕。

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